忙しい人は、最後の章の最終の数行だけでも−青山浩一郎先生
「真説 アダム・スミス」2009 の著者、James Buchan ジェイムズ・バカンは、「マネーの意味論」青土社、篠原勝 訳 2000.7 3200円の著者である。
原著は、1997年、英国で出版された「FROZEN DESIRE An Inquiry into the meaning of money」 1997、である。惜しくも、いまは絶版になっている。
だが、この本は、いま書店では買えないが、ネットでは入手できるようである。
ぜひ、再販してほしいと思う。大きな図書館には置いてある。
著者は、スコットランド系 イギリスの作家、フイナンシャルタイムス特派員 サウジアラビア レバノン ボン ニューヨーク 駐在、90年以降は、独立。
わたしは、当時、買って、さらりと読んだ。座右に置いて、通読でなくてもいい、気ままに、どれかの章を抜き出して読みたい本である。
彼の論法は、「真説 アダム・スミス」と同じ手法である。経済、金融にかぎらず 宗教、歴史、哲学、文学 の名著を読みこみ、それを、引用しながら、「マネー論」を進める。目次がユニークである。経済学の本とは思えない。
序章 マネーとのめぐりあい
1章 金の石、銀の石――マネーのはじまり
2章 銀貨三十枚
3章 ボルゴ・サンセパルクロの秩序感覚
4章 心気の病い
5章 浮き世――マネーに浮かぶ世界
6章 ミシシッピ夢物語――ジョン・ローの世評について
7章 自由の新造貨で購う男の自由と女の自由
8章 デイーン・ストリートの死――マルクスの資本論とマネー
9章 ガラスの向こう側――市場初の銀行破綻に巻き込まれたバカン家
10章 見果てぬミシシッピー ―― 夢の再演
11章 悪貨で賄う ――戦費調達の破れ財布
12章 さらば愛しのマネーよ
索引 10ページに、人名、書名、地名、専門用語が並ぶ。
各章の脚注と、文献の引用箇所の紹介が42ページにわたる。まさに学術文献以上の緻密さである。さすがは英国、ジャーナリストのレベルは高い。
特に くわしく取り上げた著名な人物を列挙しておく。
イエス・キリスト、ルカ・パチョーリ、コロンブス、セルバンテス、レンブラント、ウイリアム・ペテイ、西鶴、ジョン・ロー、マルクス一家、ボードレール、カーネギー、ミルケン など多数である。経済学に興味がなくても読める。
たとえば、第1章 金の石、銀の石――マネーのはじまりを、経済学書として読めば、「貨幣の3機能」に尽きる。著者は、これに21pを費やし、多数の書物と人物を登場させる。
「人類はなぜ貨幣を作りだしたのか?」アリストテレスが得た解答は、「国際分業を可能にするためだった。」p37
「金銭は物資の交換に使われるものであって、利子を取ってふやすべきものではない。」貨幣は交換手段であって、富の蓄積手段にしてはならない p48、
という思想は、「ヴエニスの商人」や「ユートピア」にも明確である。これに後世は反発する。シュンペーターをして「アリストテレスはエコノミストにあらず」といわしめた。 P50
この章だけでも、登場人物は、プルースト、イブン・ハルドウーン、スタンレー、リビングストン、ロビンソン・クルーソー、アダム・スミス、アレキサンダー大王、プラトン、ホメロス、ヘロドトス、ギボン、ショウペンハウアー、マルクス、シェクスピア、トーマス・モア、クメール・ルージュ、など多彩である。
この著者の叙述手法に驚嘆する。
第2章では、聖書とコーランの金銭観の違いから始まり、レンブラントの「悔悟して銀貨を返そうとするユダ」の描写で終わる。第3章は、ルカ・パチヨ―リが主役、第4章では、コロンブス、シェイクスピアを語る。第5章ではオランダ、イギリスのバブルから、西鶴も登場させて元禄時代にも触れる。第6章はジョン・ローの独演だ。あとは、主役だけ書き出すと、第7章 アダム・スミス、第8章 マルクス 第9章 スコットランドのバカン家、第10章 ウオール街、第11章 ケインズ だと読んだ。
忙しい人は、最後の第12章 「さらば愛しのマネーよ」の最終の数行を読んでいただきたい。
「ミネルバのフクロウは片目を開け、次いでもう一つの目も開き、ずたずたに裂けた翼を広げて、飛びたとうとする。やがて、こうした夢が次第に薄れるにつれて、「信仰の時代」のあとにやってきた「マネーの時代」は、この世のありとあらゆるものと同じく、自らも終わりにちかづいて行く。」
筆者は、近年のマーケットを、洞察していたのだろうか。